ロマン派の時代11-民衆を導く自由の女神

ベルギー革命で困ったのは仏7月王政である。国内では、ボナパルティストがベルギー併合を、共和派はベルギー共和国を主張した。そこでまたもや切り札タレーランがイギリス大使となる。タレーランは英人脈を使い、ロンドン会議で立憲王国を誘導、王としてジョージ4世の娘を娶ったレオポルドを推薦した。英仏協調で、メッテルニヒ主導は半壊状態となった。

1831年5月のサロン展には、ドラクロワ作「民衆を導く自由の女神」が出品された、7月革命の記念作である。この自由の女神は、フランス革命時の「理性の祭典」や「最高存在の祭典」に出て来る女神に由来する。被っている帽子は革命時に流行ったフリギア帽でそれが合体している。

女神に従う男達は、ブルジョア、労働者、学生を象徴している。現実を題材に取りながら、極めて象徴的な作品である。敵を登場させぬことで、自由に向かって戦っていく民衆の象徴と読むことができ、それがこの絵をフランス革命の象徴として有名にした原因となっている。

この絵は、共和主義派を喜ばせるために政府が買い取ったが、32年の暴動以来恒常的な展示はされなくなった。自由の女神がフランスを象徴するマリアンヌとして、像があちこちに置かれるのは次の1848年の二月革命以後である。

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。