1830年3月、シャルル10世は「議会が余が望まない障害物を置くなら、余はそれを打破する」と挑発的な演説を行った。議会は「221演説」で、政府と国民の間の同意はもう存在していないといわざるを得ないと応え、内閣不信任を可決した。これに対して王は内閣改造を行って選挙に打って出た。
同時に国王は、アルジェリア太守が団扇で、フランス大使を叩くという「扇の一打事件」で険悪になっていたアルジェリアの侵攻を人気取りのために行って降伏させた。しかし選挙は反政府派が221名から270名に増え、王党派は敗北した。しかし戦争にかこつけて、王は議会を無視する。
シャルル10世は、ロシアのニコライ1世の忠告に、「譲歩がルイ16世を滅ぼした。余は馬に乗るか、馬車に乗ればいい」と答えたという。そして出版の自由の停止、まだ招集されてない議会の解散、選挙法を改正し地租のみを選挙民の基準とする、次期選挙を9月に行う、という4勅令を出した。
この7月勅令すべてが憲章を逸脱していた。民衆はすでに勅令が出る前から、シャルル10世の弾劾を準備しており、パリ中の新聞がこの勅令を非難し、大衆に立ち上がるよう扇動を始めた。7月27日労働者と学生はバリケードを築きはじめた。なんとシャルル10世は郊外のサンクルー宮殿で過ごしていた。
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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