ウィーン体制15-ルイ・フィリップ王位へ

1830年7月27日から「栄光の三日間」が始まった。労働者や学生は、バリケードを築いて対抗したが、ポリニャック首相を辞めさせるのが目的だった。ところが、もっと大きなことを狙っていた男がいる、御年74歳のタレーランである。彼はタイイのオルレアン公に「直ちにパリに出て民衆の先頭に立て」と命じた。

オルレアン公ルイ・フィリップは、ともかくパリに出たが、パレロワイヤルにこもったきりである。軍は1789年と同じように、民衆に銃を向けるのを嫌がり、優位に立った市民は、チュイルリー宮殿、市庁舎、そしてルーブル宮殿を占領して、そこに三色旗がはためく。

シャルル10世は、7月勅令破棄と内閣総辞職を発表したが、すでに遅く、ルイ16世と同じ運命になるのを恐れてオーストリアに亡命する。議員達は、1789年のように混乱が広がるのを恐れ、ラファイエットをリーダーにした。立憲君主制支持者の彼は、ルイ・フィリップに国王になるよう求めた。

7月31日、タレーランの助言に従って、ルイ・フィリップはこの要請を受諾し、市庁舎に赴き、三色旗を掲げてバルコニーに姿を現し、民衆の歓呼に答えた。8月7日に「1830年憲章」がつくられ、8月9日、ルイ・フィリップが憲章を受託することでフランス王ではなく「フランス人の王」となった。

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。