ロマン派の時代7-ワルツの流行シュトラウス

この時代、ウィーンの人々はダンスに熱中した。なんと人口25万人のうち5万人が毎晩踊っていたとのことである。民衆のコントロールは「パンとサーカス」と言われるが、メッテルニヒの政策は「パンとダンス」といえるかもしれない。しかし貴族からブルジョア市民の時代にダンスも変わる。

新たなダンスの流行は、ワルツだった。ワルツは男女が身体を接して踊るので、長らく禁止されていたが、民衆の登場と共に、スピードのあるワルツに変わった。行動範囲の広いワルツは大きなダンスホールが必要だった。そして出てきた作曲家がヨーゼフ・ランナーとヨハン・シュトラウスである。

ウィーンっ子は、この2人の優劣をつけたがった。そして1828年ぶ登場ボックで、2人が揃って演奏中に激しい口論をするという「ワルツ合戦」が起こったと伝えられている。その後シュトラウスは自分の楽団をもって、鎬を削ったが、43年にランナーが亡くなってからはシュトラウスの独壇場となった。

シュトラウスは、ヨーロッパを演奏してワルツを広げ「ワルツ王」「ワルツのナポレオン」という異名をとった。ここでもナポレオンは生きていたのだ。ワグナーはシュトラウスを「大衆音楽の魔術師」と呼んでいる。ヴィルトゥオーゾ(達人)の時代がやってくる。

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。