ウィーン体制13-シャルル10世への反発

シャルル10世は、戴冠する前から絶対王政の頃に戻す法律をユルトラ議会と共に制定していた。その1は涜聖法で、教会の聖なるものを窃盗や破壊した者を重罰に、その2は「亡命貴族の10億フラン法」で、亡命貴族の財産を国家が補償する、その3は長子相続法の復活である。

しかし、その財源のために国債利率を5%から3%に下げたため、フランス国債は下落した。また長子相続法は、国民議会では通ったが、まだ自由主義派も残っていた貴族院で否決され立法化できない。この法案が否決されたとき、パリ市民は花火をあげて祝ったという。

国民の反対を受けて、ヴィレール内閣は、1826年12月、検閲を復活して、報道を規制する。しかしこの報道規制は、これまで王権支持だったシャトーブリアンまで政権反対派にまわった。翌27年、国王が国民兵を閲兵したとき、何と「ヴィレール内閣打倒」のシュプレヒコールが起こったのだ。

ヴィレールは国民軍を解散させてしまうが政権批判は地下で燃え盛る。27年12月、ヴィレールは議会を解散するが、自由主義派はあらゆる手段で選挙人を増やし、議会右派も内閣反対にまわったため、選挙では、ユルトラは大勝できず、ヴィレールは辞職を余儀なくされた。

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。