苦悩と歓喜15-第九交響曲歓喜の歌

1824年5月7日、ベートーヴェンの交響曲第九番がウィーンで初演された。有名な第4楽章のシラーの「歓喜に寄す」という詩は、元は「自由賛歌」といい、最初はラ・マルセイエーズに乗せてドイツ人が歌っていた。シラーはその後書き直して「歓喜に寄す」としたという履歴がある。

当時、自由はどんどん削られていった。オーストリアにも検閲が厳しくなり、秘密警察が自由主義者を監視していた。ウィーンのこの時代は「ビーダーマイアー」と呼ばれ、市民は経済の安定の中で、自分だけの幸せの中にこもっていた。ベートーヴェンも「検閲がなければいいものが書けたのに」と言っている。

1820年に彼は「荘厳ミサ曲」を書いている。彼は生涯を振り返り、自由平等友愛の精神をオラトリオのような荘厳な形で表現しようと思ったとしても不思議ではない。この初演の歓呼をベートーヴェンは聴くことができず、歌手が振り返らせて初めて観客の反応がわかったというエピソードもついている。

その後第九は演奏されなかったが、46年にワーグナーが大編成のオーケストラで演奏してから復活した。今では統一EUの歌となり、キリスト教に無関係な日本の市民も歌って、何か神々しい感動に浸される。ルソーは新しい宗教を提案したが、フランス革命は失敗した。ベートーヴェンは民衆のミサをつくったといえる。

0コメント

  • 1000 / 1000

キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。