苦悩と歓喜13-戦争交響曲

ウィーン会議では、もちろん音楽家の出番であり、ベートーヴェンにも十分まわってきた。彼は1813年に「ウェリントンの勝利」という小さな交響曲をつくって大人気を博していた、今日では「戦争交響曲」と呼ばれている。戦争の被害を受け、ナポレオンの期待は完全に過去のものだった。

さらにメッテルニヒの委嘱で「栄光の時」と「連合君主に寄せる合唱」が作曲され、式典で演奏された。そしてオペラ「フィデリオ」も30回も上演され、大人気を博した。フィデリオの悪役である警察長官は、専制の象徴であったはずが、今は独裁者ナポレオンと読み替えられたのであるから面白い。

意図的に政治利用したのは、フランスのタレーランだった。1815年1月21日、ルイ16世の命日に、聖シュテファン大聖堂で、自分の連れてきた音楽家に作曲させたレクイエムで追悼ミサを演奏したのである。まあ自分も革命の一味だったくせに、自分は忠実な家臣だったと言ってシラけさせた。

この日はまたルイ16世の遺骨がサン=ドニ大聖堂に収められた日でもある。そしてその合唱指揮をしたのが、御年64歳のアントニオ・サリエリである。会議と共に音楽家も時代に合わせて踊った、いや踊らされたのか。ともかくウィーン会議は音楽の祭典で、ブルジョワへの音楽の普及に大きく貢献した。

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。