ウィーン体制12-シャルル10世即位

1823年12月24日のクリスマス、フランスのヴィレール首相は、フランス議会を解散して選挙に打って出た。この選挙は、富裕者の2重投票制に加え、官吏に政府の推薦する候補への投票が強要され、その上自由主義者を選挙から締め出すために、わざと税金を下げるという酷いことをやった。その結果、ユルトラ(超王派)が圧倒的勝利を収め、自由主義派は430名中15名まで減った。

この結果に、国王ルイ18世は、「またと見出せないと思った議会をまたまた見出すとは」と嘆いたそうだ。この頃から国王の体調悪化がすすみ、24年9月16日崩御した。ルイ18世は、王権主義者だったが、柔軟で、国民の協調を重視していた。彼の崩御は、その時代の終わりとなった。

ルイ16世亡き後、その弟アルトワ伯爵が、シャルル10世として即位した。彼は、亡命貴族の統領であり、「イギリス王のような立場になるなら木こりになったほうがましだ」と公然と言う男である。革命以前から全く変わらなかった稀有な男と言われた。憲法発布の日は仮病を使って署名しなかった。

ナポレオンの政教和約を通じて、カトリックが復活したとはいうものの、この時代を通じて宗教は形骸化し、毎週のミサに行かない者も増えていた。ユルトラはこうしたことは皆革命のせいだと考え、政治が壊したものは政治が復活できると信じた。シャルル10世と共に時代を引き戻そうとする。

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。