ウィーン体制11-アイルランド併合と抵抗

1800年イギリスはアイルランドを正式併合した。実際ヘンリー8世以来、アイルランドの植民地化はすすみ、クロムウェルの武力侵攻で、プロテスタント地主の支配がすすみ、イギリス王がアイルランド王を兼ねていた。しかし1798年にフランス革命に刺激されてアイルランド反乱が起こり、鎮圧後に正式併合した。

そこでやっかいなのが宗教問題である、アイルランドの大部分のカトリック問題がイギリスの問題となった。ここでも問題は司教叙任権で、イギリスはヴァチカンと交渉し、国王がヴァチカンの選ぶ司教の拒否権をもつということで妥協しようと思ったが、アイルランドの抵抗にあった。

アイルランドの弁護士ダニエル・オコンネルは、フランスで教育を受け、アイルランドカトリック協会を設立し、貧しい信徒を組織化した。当時イギリス人のアイルランド土地保有者は、小作人を「不動産自由所持者」として選挙権を持たせていた。オコンネルはこれを利用して、カトリック解放反対者を落選させた。

オコンネル自身も、1828年にクレア選挙区補欠選挙に打って出て、第一位の得票を得たが、カトリック刑罰法のため議員になれなかった。イギリス政府は、暴動や革命の危険を犯すよりは、と1829年にローマカトリック信徒救済法を施行し、カトリックでも公職につけるようにした。

0コメント

  • 1000 / 1000

キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。