ウィーン体制10-スペイン立憲革命鎮圧

1820年2月13日、フランスで王の甥ペリー公シャルル・フェルディナンがオペラ座の前で、狂信的ボナパルト派に暗殺された。これを機にフランスでは、ユルトラの力が増し、首相のドゥカズ公爵が辞職、リシュリュー公が再登板した。そしてまあ選挙法が改正され、最富裕層は2人の議員を選ぶ権利を得たのである。

21年11月の選挙ではユルトラが圧勝し、リシュリュー公はもはやこれまで、と政界を去った。それに代わり「一番危険性の少ない」と王が評価したヴィレール伯が首相となり、出版の検閲が厳しくなり、教育が再び司教のもとにおかれた。対して自由主義者達は秘密結社をつくる。

これに先立つ21年10月20日、ヴェローナで五国会議が開かれた。イタリアの立憲革命はオーストリアの手で鎮圧され、残るスペインの問題で、ロシア皇帝は出兵を主張した。が皆ロシア兵が西欧を横断するのはさすがにイヤがった。そこでフランスの干渉にOKが出たのだ。

23年4月7日「聖ルイの十万の息子たち」と称されるフランス軍がスペインに入り、8月31日のトロカデロの戦いで、スペイン軍を破り、9月23日には幽閉されていた国王フェルナンド7世を解放し、立憲革命もまた敗北した。フランスは単に王権の復活を見せつけたいだけだった。

0コメント

  • 1000 / 1000

キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。