英仏露墺普5カ国会議でお墨付きを得て、オーストリア軍がイタリアに侵攻した。新サルディーニャ王カルロ・フェリーチェは、墺軍介入を要請、王も独自に軍を編成し、革命政府の陸軍大臣は徹底抗戦をよびかけたが、1821年4月8日4000人の兵がノヴァーラで戦って全滅し、立憲派は投獄されたり、フランスに亡命した。
またナポリでも、フェルディナンド1世が介入を要請し、5万人の墺軍が侵攻した。革命政府軍は、4万人の志願者をつのり、3月7日、リエーティ・アントロドーコの戦いで敗北、イタリア統一運動での最初の大規模な戦闘となった。しかし革命軍は戦闘力を失い、壊滅した。
革命政府の敗北で、憲法も議会も廃止され、元の王政が復活した。ナポリでは首謀者は公開絞首刑に処せられた。一国で騒乱があると、それに大国がつけこんで、欧州戦争になるのが常だったが、今回は、前もって大国間合意をとっていて、それは防がれた。しかし王家の戦いが民衆戦争に代わっていた。
メッテルニヒは、ウィーン会議からの欧州安定と国の拡張の功績で、オーストリア宰相に任命された。しかし実際イタリア鎮圧での経費は重荷となった。「私の一生は崩れ落ちる建物を何とか支えるようなものだ」と嘆いている。そしてさらにヴァルカン問題が発生する。
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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