ウィーン体制7-イタリア立憲革命

スペインで始まった立憲革命は、イタリアに波及、まず1820年6月15日に、シチリア島のパレルモでアリアータが主導する暴動が起こり、ブルボン家は逃げ出して、革命政府ができた。7月には炭焼党のミキニーニが、自分の騎兵を率いてノーラで蜂起し、グリエルモ・ペペの師団が加わった。

反乱軍は憲法制定を求めて、サレルノで大歓待を受け首都ナポリを覗う。ここに至り国王フェルディナンド1世は憲法制定を約束し、ナポリでも立憲革命が起こり、8月には両シチリア議会ができた。しかし、シチリアは独立派だったため、ナポリ側は拒否し、交渉の決裂後、ナポリ軍がシチリア議会を解散させてしまう。

さらに翌21年にはサルディーニャ王国のアレッサンドリアで3月9日サルディーニャ軍が蜂起。反乱は数日で首都トリノに波及して、国王ヴィットリオ・エマヌエーレ1世は退位した。次の王には弟のカルロ・フェリーチェが就き、進歩的なカルロ・アルベルトが摂政となり、スペインの1812年憲法を採用した。

トリノで起きた立憲革命は、ピエモンテ地方に波及、ナポリ王国の革命と共に全土が革命の雰囲気に包まれた。しかし、ウィーン体制のもとでの国際連合英仏露墺普の5カ国会議はその革命への対処で会議を開き、干渉をしてゆく。その中でイギリスは立憲革命には好意的で、五カ国同盟は崩壊する。

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キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。