カペー朝10-ショパン軍隊ポロネーズの国

歴史に登場してきたポーランド、ピャスト朝ミェシュコ1世が963年に即位。ピャスト朝というのは伝説によればピャストという一農夫が族長に選ばれたのが始まりという。その後帝国に侵略されないよう、9ローマ教皇に多額の寄進をしてカトリックに改宗。ボヘミア公国公女を嫁にもらって統一をすすめた。

992年にミェシュコ王が崩御すると、その子ボレスワフ1世が即位する。彼はまず帝国のオットー2世に協力することで、1000年に帝国の貴族の冠を授け、ポーランド公となった。そしてグニェズノに大司教座を置いて、キリスト教化をすすめた。国民は熱心なカトリックとなり、一体化がすすんだ。

ボレスワフは軍備を整え、特に強力な騎兵をつくった。その勇壮な行進を表現したのがショパンのいわゆる「軍隊ポロネーズ」である。ボレスワフはこの武力によってチェコを征服して自らボヘミア公となり、1018年にはビザンティンと協力してキエフ公国を侵略。現在のウクライナ問題の始まりといえる。

王の母はマイセン伯の妻であり、マイセンの領有権を主張するのは当然ともいえ、ハインリヒ2世の時代に侵略してマイセンを手に入れた。その後ハインリヒ2世とは講和して、1024年に正式に戴冠、ポーランド王国を名乗り独立を果たした。がその翌年に崩御し、国は混乱期に入る

下はヤン・マティコ作「ポーランドのキリスト教化」

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。