カペー朝9-ハンガリーの聖王とドラキュラ

ハインリヒ2世の時代にハンガリーにキリスト教王国が成立する。聖イシュトヴァーン1世は、マジャール人の大首長の息子だったが洗礼を受け、997年に王位を継ぎ、聖帝ハインリヒ2世の妹聖ギーゼラを妻にし、めでたく聖人カップル第2号となった。

その後の親族との戦いでは、ハインリヒ2世が援軍を送って勝利。帝国承認のもとで1000年にローマ教皇より国王を戴冠した。王はキリスト教の力を借りて中央集権国家づくりを開始した。そのおかげでハンガリーは部族社会を脱皮し始めた

しかし従来の部族宗教は逆転して「異教」と呼ばれることとなった。当然反発する勢力が出てくる。トランシルヴァニアなどは、ビザンツの支援のもとに反乱を起こす。この平定にはかなりてこずり、ようやく国土の統一を成し遂げたのは1028年だった。だがこの地方は独立も同然で、依然として民間信仰が残っていたおかげで「ドラキュラ」の物語が生まれることとなった。

イシュトヴァーンとギーゼラは息子のイムレを敬虔に育てたが、1031年に死去してしまった。息子は列聖されたが、王は悲嘆にくれ1038年に崩御、その後継者をめぐって国は内乱となり、ギーゼラも国外に逃れた。その後国を統一したラースロー一世も列聖される。

下は聖イシュトバーン1世の戴冠

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。