ウィーン体制2-イタリア炭焼党

ウィーン会議の結果、一番得をしたのはオーストリアだろう。イタリア北部ロンバルディアとヴェネツィアを結合したロンバルディアヴェネト王国をつくり、オーストリア皇帝がその王に収まった。南のナポリ公国が復活し、シチリアと合わせて両シチリア王国となった。

さらにトスカナ大公国、モデナ公国、ナポレオンの妻はパルマ公国をもらい、ハプスブルク家はイタリアの大部分を支配した。なんのことはない、ナポレオンと同じようなことをしたわけだ。中央の教皇領も復活し、イタリアは9つの分裂状態に戻ってしまった。

しかし、イタリアではオーストリアからの独立をめざす秘密結社カルボナリ(炭焼党)が秘密結社として勢力を伸ばした。もともと炭焼党は、反ナポレオン運動として、ブルボン家のシチリアで生まれ、立憲君主制をめざし、フリーメイソンのような特殊な用語を使う組織となった。

炭焼党は、憲法と独立をもとめ、1820年代には30万人以上という急拡大を示した。指導的役割を果たしたのは、ナポレオン時代の退役軍人だったが、都市住民や知識人、ブルジョアも巻き込んだ結社になっていく。しかし雑多な思想を持った組織は、統一性を欠いた。

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。