東フランクでは、911年、ゲルマン慣行の選挙によってザリエル家フランケン公コンラート1世が王位につくこととなった。ところが国内での基盤が弱いので、なかなか王らしくできない。可哀そうに918年、7年間で37歳の若さで没してしまった。
その遺言として国内をまとめるために、ライバルのザクセン公ハインリヒをドイツ王に推挙した。ザクセン公はあのカール大帝に反乱を続け、ついに降伏したあのヴィドゥキントの子孫である。その子孫は辺境伯として、ついにフランクの王座に昇りつめ、このあと100年にわたって、5代の王を出すことになるのも不思議な因果といえる。
コンラート1世は鳥獣王と言われるくらい狩猟が好きで、王指名の報をきいたときも、呑気に捕鳥網を設置していたらしい。919年に即位したときも、慣例の塗油はせず、ザクセン代表からドイツ代表キャプテンに選ばれたくらいの気持ちだったらしい。
しかし実力は相当なもので、バイエルンとシュバーヴェンに兵を出して、力づくで王を承認させた。921年に東フランクとボン条約を結び承認させ、25年にはシャルル3世に取られたロートリンゲンを編入し、娘を嫁がせて正式領土とした。
下はヘルマン・フォーゲル作「鳥獣王の戴冠」
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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