神聖ローマ2-師を冠す文字ブルガリアで開花

メトディオスの帰天後、ヴァチカンはスラブ語典礼を破棄、なんとスラブの使徒の弟子達を追放、その一人クリメントも奴隷として売り飛ばされたが、ビザンティンに買い戻された。その当時ブルガリアはヴァチカンとビザンティンの間で揺れていた。

王ボリス1世は、864年ビザンティンに侵攻されて和平として正教に改宗する方向だった。ところがフランクが反撃し、この決着は、869年にコンスタンティノープルで開催された「第8回全地公会議」で論議された。この会議は双方が因縁をぶちまけてなかなか終わらない。たまりかねたボリス1世が決着を迫り、出席者数の差でブルガリアは正教となった。

そして王ボリス1世に乞われ、ブルガリアに宣教に行ったのが、クリメントを含むモラヴィアを追放された弟子たちだった。ブルガリアはモラヴィアが捨てたスラブ語典礼を採用した。クリメントは師のつくったスラブ文字を改良、現在のキリル文字が生まれた。もちろんその名はスラブの使徒キュリロスを表している。

主教座を得たブルガリアはオフリドに聖堂を造り、クリメントは最初の主教となった。ボリス1世の息子シメオン1世は、913年ビザンティンを包囲して皇帝の位を得るほどの力を誇り、最盛期を現出した。916年クレメントは帰天。しかしその後国内は乱れ、1018年にビザンティンに占領された。

下はオフリドの聖クリメントのイコン

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。