神聖ローマ4-フランス王朝の祖ユーグ大公

ヴァイキング問題にカタをつけた西フランクのシャルル3世は、東フランクの混乱に乗じてロレーヌ地方を領有した。ところがここでも問題となるこの地方、ロレーヌ公の不満が引き金となり、ついに、922年ウードの弟パリ伯ロベールが決起。シャルルは追放された。

翌年ノルマンディーからノルマン兵を借り、シャルルはロベールを討ち取ったはいいものの、ロベールの息子ユーグと娘婿のラウールに敗れついに幽閉されてしまうのだ。そしてブルゴーニュ公ラウルが西フランク王に即位した。その動乱の中で、ロレーヌ地方はまた東フランクのハインリヒ1世が奪取。

ロベール家を継いだユーグは、王ラウルの後見として最大の実力を持った。936年、王ラウルが崩御した際、無理に王位を取るとやられるだけ、と見たユーグは、インランドに亡命していたシャルル3世の息子ルイを呼び戻し、ルイ4世として即位させてカロリング家再興を行った。

キングメーカーとなったユーグは後に大ユーグと言われるまでの貫禄を誇り、ルイ4世の領土は非常に小さかった。954年にルイ4世が崩御すると、その息子ロテールを王にして、ますます権勢を拡大した。「じっと我慢の子であった」大ユーグは血族を大事にした代わりに、800年以上のフランス王朝の基となった。

下はフランスから戻ったルイ4世を迎える大ユーグ

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。