結局身内に懲りたオットーは、教会勢力を重臣として登用し、弟ケルン大司教ブルーノを摂政にした。これが「帝国教会政策」であり、教会領を与えることで、諸侯の間に楔を打ち込むことができた。しかしそれにはヴァチカンとの関係が重要となる。
ところが運の向いてきたオットー、教皇からヘルプが来るのだ。あの因縁のイタリア王ベンガリオ2世がローマを攻め、オットーはこれを討って臣従させ、962年2月2日、ローマ帝国の戴冠を受けた。神聖ローマというのは後付けだが、この日を以て始まりとなる。しかしこれはカール大帝の逆で皇帝主導。教皇の任命は皇帝が行うという「特許状」を書かせた。
だがこの教皇ヨハネス12世はとんでもない生臭で、ヴァチカンを淫売宿にし、賭博を行っていたという。そしてオットーが帰るや、ベンガリオとマジャールを巻き込んでオットー包囲網を作ろうと画策した。オットーはまたドイツから取って返し、963年教皇をレオ8世に替え、自らイタリア王となった。
どっこいところが、オットーが引き返すや、ヨハネス12世が復位し、彼が亡くなるや、ベネディクト5世に。またまたオットーはローマを包囲して、レオ8世を復位させた。オットーはその後もイタリアに滞在。967年には息子を共同皇帝にしてドイツを任せた。この後歴代皇帝はイタリアと教皇に腐心することになる。
下はオットー大帝以来の神聖ローマ帝冠
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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