神聖ローマ1-スラブ文字を作った使徒兄弟

モラヴィアは現在のチェコ。この地方は、カール大帝がアヴァール人を制圧してから、その地域の部族の中でモイミール一族が伸長、800年代前半にモイミールの国=モラヴィア王国を築き、オーストリアとハンガリーの一部まで勢力を伸ばした。ここでモラヴィアはフランクに服属し、ローマカトリックに改宗した。

しかし7世紀末に建国されたトルコ系のブルガリア王国が強力になり、モラヴィアも自立をめざすが、846年に東フランクに併合。後継したロスチスラフ王は、855年にフランクに勝利し、正教に変えようとビザンティンに接触する。

ここでチャンスとばかり送り込んだのが「スラブ人の使徒」メトディオスとキュリロス兄弟。彼らはスラブ語ペラペラで、史上初のスラブ語文字を考案した。兄弟は4代目ローマ教皇聖クレメンスの遺体を発見し、返還するためローマに行き、867年に教皇ハドリアヌス2世に謁見し、スラブ語典礼の許可を得る。キュリロスは869年にローマで帰天した。

モラヴィアでは870年に王がフランクに逮捕、メトディオスも幽閉されたが、次のヴァトブルク王がフランクから独立し、最盛期を築いた。そしてメトディオスは大司教になり、初めてのスラブ語聖書を作った。王の死後国力が弱まり、マジャール侵攻で王国は崩壊したが、彼らの作ったスラブ文字は永遠に残っている。

下は聖キュリロス(右)と聖メトディオス(左)のイコン

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。