ヴァイキング10 -ヨーロッパ封建社会の成立

さて東フランクはというと、887年肥満王カール3世が退位すると、その甥アルヌルフが東フランクとロレーヌ地方を継承した。彼はノルマンには武断政策をとり、891年のルーヴァンの戦い(ベルギー)でノルマンに大勝し、侵攻をストップさせた。この戦いで川に流された血が市の紋章となっている。

895年にモラヴィアに攻め込み、ボヘミアをフランク領に獲得。896年にイタリアに侵攻し、当時の教皇ファルモススより西ローマ皇帝を戴冠した。しかしこの戴冠は非難され、ファルモススは死後墓を掘り起こされ、死体のまま裁判にかけられたが、後に名誉回復された。

899年にアルヌルフは逝去し、当時6歳のルートヴィヒ4世が国を継ぐ。しかしこのころから激しくなった東方マジャール人の侵攻を止めることができず、911年に逝去。カロリング直系の血が絶え、選挙によってコンラート1世が即位した。しかし国内は混乱し、マジャール人の侵攻や諸侯との争いに苦しむこととなる。

ノルマンの侵攻をそっちのけでフランク王が権力争いに終始し、教皇も頼りにならず、諸侯たちは自分達で独立した。村人たちも領主に頼り、領主の力がぐっと増した。領主はそれぞれ城を構築し、その周りに領民を集め、余所から侵攻されれば城の中に逃げ込み安全を確保する。その代わりに領民から年貢や賦役をさせるというヨーロッパ封建時代の見慣れた風景がこうしてできるのである。

下はホラーっぽいフォルモススの死体裁判

0コメント

  • 1000 / 1000

キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。