神聖ローマ7-ドイツのお江聖女妃マティルデ

奥様は魔女ではなく聖女。ハインリヒ1世の王妃マティルデは、ヘルフォート修道院で育てられ、その美貌と徳性がハインリヒの父に伝わり、909年に嫁となった。ハインリヒは実は再婚だったが、マティルデにベタ惚れで、趣味の狩猟にことかけて覗きに行ったそうだ。信仰心は非常に篤く、夫が熟睡したあとも教会に通ったという伝説がある。

彼女はめでたく3男2女を産み、長男がオットー大帝となり、3男がケルン大司教にして皇帝摂政の聖人ケルンの聖ブルーノとなった。しかし徳川二代将軍秀忠の奥のお江の方ではないが、長男オットーより次男ハインリヒを溺愛し、オットー1世の国王即位に「弟のほうがお似合いよ」と公然と異議を唱えたという。

そして936年大帝が即位した2年後、母の愛した次男が反乱。それが失敗すると41年に暗殺を策て、母のとりなしで一命をとりとめた。その後弟はバイエルン公となって兄の片腕となり、お江の愛した家光の弟のハメにはならずにすんだ。

母マティルデは、クヴェドエインブルクに女子修道院を創設し、ここに夫の菩提を弔うなど多くの慈善事業を行ったが、一時讒言により修道院に幽閉、今度は息子の妻のとりなしで解放されたことがある。そして968年73歳の生涯を終えた。

下はマティルデとハインリヒの出会い

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。