ヴァイキング9-教皇の神風とシチリア占領

カール大帝を戴冠させたレオ3世は有能なことは有能だったようだ。それ以後の教皇は、この子孫による帝国の内乱を止められなかった。そして海の脅威は北だけでなく、南からも襲ってきた。イスラム海軍(海賊)である。846年にはイスラムは総本山サンピエトロ聖堂まで侵入し、かろうじて撃退された。

847年に教皇となったレオ4世は、ローマの防備を強化、サンピエトロを含むテヴェレ川右岸の防壁を建設し、そこは「レオの市街(キヴィナスレオニナ)」という名で今日まで残っている。そして再度イスラムが侵攻してくるとき、レオは南イタリア連合艦隊をつくりローマ近郊の港オスティアに集めた。

教皇は自らオスティアに赴き、「神よ救いたまえ」と聖戦を宣言した。港にイスラム船が押し寄せ、戦闘が始まる直前、猛烈な風が吹き、寄せ手のイスラム船がぶつかり、大混乱を起こした。そのおかげで、キリスト教艦隊は勝利したのである。蒙古の神風ではないが、当時神意を信じないわけにはいかなかったろう。

しかしイタリア半島先端の島シチリアは、827年からイスラムの侵入に晒され、831年にパレルモが陥落。877年にはついに首都シラクサが陥落し、シチリアにイスラム国家が成立した。ヴァチカンは、攻め込まれる危険からシチリアイスラムと交渉し、支配を認めるかわりにキリスト教保護を要求し、多様な文化がこの島で育つ。やがてここにもヴァイキングがやってくるが。

下はラファエロ作「オスティアの海戦」

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。