イスラムと近代2-イランにロシアの脅威

さてイランはというと1736年サファビー朝が滅亡し、1796年ガージャール朝が成立する。しかしここでもロシアの南下政策の脅威にさらされることとなった。1804年から13年まで、ロシア・ペルシャ戦争が起こり、イギリスの仲介で戦争は終結したが、ジョージアやアジャルバイゼンはロシアに割譲された。

ガージャール朝は、ペルシャ人ではなく、トルクメン人の支配だったため、ペルシャ人に対して強圧的であり、さらに列強との戦争による増税が拍車をかけた。しかしイギリスは、インド支配のための後背地としての位置づけで、ロシアなどの諸国が進出するのを望まず、半独立という状態となった。

鬱屈した民衆は、王を信頼せず、宗教に傾くようになる。ガージャール朝は、トルクメン人の政権で、民衆の信頼も薄く、聖職者は商人と結びついて独自の財源を確保して、貧者を助け、信頼を厚くした。政権より宗教が強いという独自の構造が形成されてゆく。

そして夷敵を追い払う「救世主」を待望する宗派も出てきた。シーア派はマフディーの到来に祈り、ゾロアスター教は教祖ゾロアスターの再臨を信じた。また現世における「聖戦(ジハード)」を呼び掛ける聖職者も出た。こうしたことが宗教的反乱として次の時代に出現する。

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。