イスラムと近代1-ワッハーブ派台頭

ナポレオン戦争中、ナポレオンにかしずいたふりをしてアレクサンドル1世は1806年から露土戦争を戦っていた。当初の戦闘はオスマン有利に進む。しかし改革派皇帝セリム3世が、自分の洋式軍隊を前線に進軍させようとすると、とたんに各地のアーヤーン(領袖)やイイェニチェリが反対する。

なんと皇帝は廃位され殺害されてしまった。ところが後を継いだ守旧派のムスタファ4世も、今後は改革派に復讐されて殺害される。戦況は大幅にロシア有利になるが、ナポレオンのロシア遠征直前の12年に講和した。この講和の中で、セルビアは自治を獲得して、17年よりセルビア公国となる。

即位したマフムト2世も、このような経緯では下手に動けない。ウィーン会議では、正当性の原則がオスマンにも適用されて領土が保全された。そこでアラビア半島に台頭していたワッハーブ派のサウド王国の討伐に乗り出す。聖地メッカとメディナを取られてはイスラム守護者とはいえない。

ワッハーブ派は、クルアーンとムハンマドのスンナに帰れという原理主義である。これを信望したサウード家がアラビア半島のオスマンからの独立を志向した。1818年には王国は滅亡するが、生き残りの一族は、リヤドに移住して再起を図る。サウジアラビアの起源はこうして生まれた。

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。