ヴァイキング7-ロベール家戴冠とノルマン公

ノルマンのパリ包囲で金銭解決しかできなかったカール肥満帝は貴族から見放されてしまう。代わりに人気が出たのはパリを守って奮戦したロベール家だった。ロベール豪胆公は、866年に戦死、その息子ウードは、882年にパリ伯となり、ノルマンの侵攻に守備隊長として奮戦し、パリを守りきった。

887年カール肥満帝は退位させられ、その2ヶ月後に逝去。そして諸侯と司教らに推薦されて、ウードが西フランク王を戴冠することとなった。王となったウードはついにノルマンを破るが、肥満帝の息子のシャルルも893年にランスで聖別され、彼を押す諸侯と対立をくりかえした。

894年、両者の妥協が成立し、ウードが子なくして死んだ場合はシャルルが王となると決められた。これが決まったからではないだろうが、897年ほんとにウードは子ができずに亡くなり、898年シャルル3世単純王が即位。ロベール家はウードの弟ロベールが継ぎ、広大な領地をもつ侯爵となり、やがてカペー家へとつながる。

911年、ヴァイキングのロロがフランス侵入。このロロは、故郷を追放された暴れ者だったらしい。911年シャルトルの戦いでロロが敗れ、シャルル3世の取引に乗ることにした。ロロはキリスト教に改宗し、襲撃を止めるかわりに領地を与えられ、ノルマンディー公爵となった。ここでキリスト教に改宗し、陸戦を学んだロロは勢力を伸ばし野心を拡大する。

下はノルマンに奮戦するウード。

0コメント

  • 1000 / 1000

キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。