ローマの休日。780年のクリスマスからカールは半年間イタリアに滞在する。スペインで臣を死なせたカールだが、王妃ヒルデガルドが双子の王子を産むという慶事もあった。彼は王子にルートヴィヒ(クローヴィス)とロタールというメロヴィングゆかりの名前をつけ、メロヴィングの臣も含めて結束を促した。
ここで運命的出会いがあった。この後カールを支えるアルクィンである。彼はキリスト教の理想と共に、現実のローマ法にも長じまさにカールにうってつけの人材であった。アルクィンもカールに惚れ、二人はパートナーとなってゆく。アルクィンなしにカールの帝国はなかっただろうが、賢者を謙虚に求められるのも、彼を単なる征服者から画する資質である。
またカールは教皇ハドリアヌスとの親交を深め、キリスト教統治を深める機会とした。そして4歳の息子の洗礼をし、この子をピピンと名づけ、正式に嫡子とすることにする。ところがすでに彼には10歳になる同名の側室の子が居た。カールはキリスト教の教えに従い、正室主義を宣言した。
この後ヨーロッパではまがりなりにも正室主義が成立する。そして長子は廃嫡され、カールマンと改名された。もちろん待遇に変化はなかったが、やはりこの子は後にカールに反乱を起こすことになるのである。
下はジュール・ローレ作「アルクィンから原稿を受け取るシャルルマーニュ」
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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