「馬上少年過ぐ。世平らかにして白髪多し」。伊達正宗ではないが、カール大帝は46年の治世で53回もの遠征を行い、西欧中を駆け巡った。これほど行軍できたのは騎馬の力である。すでにカールマルテルの時代から、フランク諸侯の全員の馬揃えが牧草の生え揃う5月に行われ、貢納も牛から馬に代えられている。
身長185㎝はさぞや馬上で映えたろう。ところがローランの歌の末尾に思わぬことが書かれている。「キリスト教徒があんたを呼んでいる、皇帝は出掛けたくなかった、神よなんとつらい人生だ」カールはキリスト教のために遠征に行かされたというのだ。征王かつ聖王という不思議な王である。
事実ローマ風衣装を嫌い、かわうそや黒テンの毛皮のフランク風の衣装を好んだ。が、ローマへ行くときは正装したらしい。子供のときから家庭教師についてキリスト教を学び、アウグスティヌスを聞かされ、王となっても著作をいつも読ませていたという。
王が読み書きができないのはステイタス、秘書に読ますのだ。しかしカールはラテン語をしゃべれ、ギリシャ語を解していた。その上、教育を進めるのに自分が書けなきゃいかん、と毎晩枕元で字を勉強していた。教養人でありながら、狩猟好き、怒ると何千人も切り殺す。矛盾しているが、この王だからこそフランクとキリスト教を繋げた。息子の代にはうまくいかなくなる。
下はパリのノートルダム前の騎馬像
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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