ナポレオン59-セント・ヘレナ流刑

1815年6月21日、敗将ナポレオンはパリに帰りついた。実は彼はなお戦おうとしていた。しかし今は皇帝独裁ではなく、議会の許可が要った。その議会で退位を迫る者が居た、なんとあの初期革命の英雄老ラファイエット58歳である。翌22日、ナポレオンは議会の求めに従い、退位した。

皇帝退位後、臨時政府ができたがその首班はフーシェである。彼はかつての主人に容赦なく、エリゼ宮を退去させ、ルイ18世をパリに迎えたが、国王が復帰して首班に据えたのはお気に入りのタレーランだった。両者とも程なく失脚してしまうのだが。

ナポレオンは、アメリカ亡命をめざしたが、エクス島でイギリス艦隊に遭遇し、封鎖された。窮鳥懐へという諺は知らなかっただろうが、彼はイギリス艦に投降した。その上でイギリスに到着したが、上陸も赦されず、そこで出た命令はセント・ヘレナ島への護送だった。

セント・ヘレナは南半球にあるイギリス領で流刑地として利用されていた。ナポレオンが到着したのは10月で、召使は30人以上おり、結構裕福な暮らしだったようだ。彼が亡くなるのは1821年だが、遺骸が1840年にパリに帰還、42年に「セントヘレナの覚書」が出版され、彼は伝説となって永遠に生きることとなった。

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。