カールは、ランゴバルド討伐の前に王女と離婚、771年にフランク内のアレマニア公家のヒルデガルドと再婚し、内部を固めた。その頃は一夫一婦制はまだ徹底されず、彼は数人の妾を持っていた。しかし正妻はこれ以後すべて死別である。彼は子煩悩で、娘は誰一人結婚しなかったが後で述べる。
さて、イタリアを制圧前に、カールはザクセン征討に手をつけている。。当時のザクセン人の領域は、直感的にはデュイスブルク、デュッセルドルフ辺りより北のライン、エルベ両川に挟まれた領域で、結構広い。この一部が5世紀にブリテン島で7王国を建国した。
ザクセン人は、ゲルマン古来の自然宗教を信仰していた。7世紀に、聖ヴィーベルト兄弟が宣教に入っている。この2人は聖ヴィリブロードと一緒にアイルランドから来たらしい。髪の毛の色で白と黒のヴィーベルトと言われている。2人は努力もむなしく、695年ごろ殺害され、殉教者としてヴェストファーレン地方の守護聖人となって崇敬されている。
ザクセンとの境界ははっきりしておらず、絶えずフランクに侵入して領民を略奪していた。宣教師も殺害され、平和的方法は尽きたと判断したカールは大胆な宣戦布告をするが、この戦争は困難な茨の道だった。
下は当時のザクセン地域
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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