父ピピン3世の逝去後、領土はカールと弟カールマンとに均等に分割相続された。以前の歴史がそうであるように、分割相続は兄弟の争いを呼ぶ。そして母ベルトラーダが仲介に入った。何とカールに弟と同じイタリアのランゴバルド王家から嫁を貰おうというのである。実はカールはもう結婚して子供も居た。
母は教皇と交渉し、ランゴバルドが占領している教皇領を返すということでまとまり、カールは再婚した。この結婚でランゴバルトがカール側につき、カールは優位になったが兄弟仲はうまくいかなかった。しかし771年、弟が若くして逝去したのだ。
カールはすぐさま兵を弟の領地にすすめ、王として承認をとった。これで単一の王となったが、弟嫁と子供がランゴバルドに逃げ込み、ランゴバルド王は今度は子供を聖別させてフランクを分裂させようとローマに進軍した。教皇ハドリアヌス1世はカールに援助を要請。773年、カールはアルプスを越えて一気にイタリアに入った。後世ナポレオンも有名な絵に大帝の名を描かせている。
カールは教皇と復活祭を過ごし、親交を深めた。後に教皇が崩御した際、子供のように号泣したといわれる。カールのキリスト教への帰依もハドリアヌス1世との出会いが大きいと言われている。そしてカールは父のように引き返さず、774年6月、パヴィアを陥落させ、ランゴバルト王国を滅亡させた。ヨーロッパの覇王への歩みが開始されたのである。
下は大帝のアルプス越え。有名なナポレオンのアルプス越えの絵の下の岩に実は大帝の名前が描かれている
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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