768年ピピン三世は死去し、いよいよクライマックス、カール大帝登場。ドイツ、フランス、イタリア、ベネルックスに領土を拡げ、キリスト教に基づいた文化政策で西欧の基礎をつくった太祖とされる。以後の国王たちは常に理想として意識していたし、ナポレオンがヨーロッパを征服したあとで意識したのは完全にこの人のこと。
さらに近代でも彼の出自をめぐって、ドイツはフルダ修道院の古文書をもとにチューリンゲン出身つまりドイツ人だと、フランスはもちろんフランク族出身ということでフランス人と主張するという醜い争いをやっている。
当時の世界といえば、750年にアッバース朝が成立、翌年タラス河畔の戦いで唐を破り、762年に新都バグダードを創る。この都市はまさに東西文明の融合として世界の中心都市となった。西欧では、イベリア半島には後ウマイヤ朝が成立し、地中海制海権はイスラムに握られていた。
カールと弟は、父の戴冠のときに同席し、同時に塗油され、パトリキウスの称号を得た。カールの初めての宗教体験。カールにとってキリスト教は統治の方便ではなく、もっと深いものだった。成長したカールは統治原理として、イスラム帝国に比肩するキリスト教帝国を夢見ていくのである。
下はアーヘン市庁舎前でEU国旗を持つ大帝像
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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