ナポレオン52-自殺失敗エルバ島へ

ナポレオンは1814年4月1日に本拠フォンテンブロー宮殿に入った。ここで軍隊を再編して、連合軍にプレッシャーをかけ、機を見るつもりだった。しかしその日、元老院で皇帝廃位が決まったのだ。しかしまだ皇帝のナポレオンは、翌日も近衛兵を閲兵した、裸の王様とはこのことだろう。

臨時政府のトップはタレーランである。兵がナポレオンに集まるとマズいので、パリ防衛のマルモン元帥はノルマンディー方面に行く命令を出した。ナポレオンは、パリ進撃も計画したが、ネイ元帥らが、パリを火の海にするのは趣旨が違う、と反対し、進退窮まった。

ナポレオンは退位し、息子に皇帝を譲るという宣言書に署名した。実はオーストリアは、ハプスブルクの血をひく息子の即位に賛成だったが、タレーランは親父も生き返るぞと脅し、結局反故にした。そしてパリ防衛のスームア将軍が裏切り、連合軍についたと知らされた。

4月11日、ナポレオンは無条件退位を宣言した。12日にルイ16世弟アルトワ伯が、パリ市民に歓呼で迎えられ、それを知ったナポレオンは服毒自殺をしたらしいが失敗した。彼に妻から、家族一緒に暮らしたいとの手紙を受け、4月20日ナポレオンはエルバ島に出発したが、妻子には二度と会えるはずもなかった。

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。