ナポレオン51-連合軍パリ入城

1814年3月13日、ナポレオンはパリからランスに進軍した。東の連合軍はまた3方に分かれて侵攻している。その前日英海軍がボルドーに上陸した。ナポレオンとしては、各地に転戦して、時間を稼ぎ、どこかで決戦を挑むつもりだった。まず北から攻めてきた普露軍を撃退した。

戦地より皇帝は、敵の大軍がパリに迫れば、息子妻他政府をパリ脱出してロワール方面に向かえ、と手紙を書いた。この伝令が連合軍に捕まり、作戦がバレてしまう。そこで連合軍は、ナポレオンを避けて、パリに向かう。この動向を可ポレオンは完全に見逃した。

3月28日、連合軍が迫るパリで摂政会議が開かれた。大勢はパリ抗戦だったが、ここで皇帝のパリ退去命令の手紙が着いて形勢逆転。29日に皇后と皇子他は、ブロアへ脱出する。その日からパリ砲撃が開始されたが、連合軍の糧食が厳しく、2日持ちこたえればどうなるかわからなかった。

しかし和平派の兄ジョゼフが、パリ防衛軍に停戦交渉を命令、数時間でパリは平和的に連合軍の入城を認めた。タレーランはその前からロシア、オーストリアとやり取りをしており、連合軍は、フランスの正当な君主に国を戻すと宣言、それまでの間臨時政府が管理するとした。

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。