イスラム誕生1-死闘東ローマVsササン朝

610年、東ローマでは簒奪帝フォカスの暴政に、カルタゴ総督ヘラクレイオスが反乱を起こし、フォカスは処刑され、ヘラクレイオスが帝位に就いた。彼の時代にギリシア語が公用語となり、ギリシア人のローマ帝国といわれるようになった。

しかし国はペルシアにシリアからエジプトまでを失ってしまい、食糧危機となった。また聖地エルサレムを失い、聖ヘレナが発見したという聖十字架を取られてしまった。物心ともに危機だったのである。そこへペルシア軍が首都コンスタンティノープルまで攻めよせてきた。

一旦は脱出しようとした皇帝だが、その船が難破。ひらきなおった皇帝は、ペルシアの都を攻めようと決意した。コンスタンチノープルには難攻不落の大城壁があり、その上を総主教がマリアのイコンを掲げて歩きまわり防衛の士気を高めた。627年、ペルシアに侵攻した東ローマ軍はニネベの戦いに勝ち、首都クセノフォンに逆王手をかかた。ペルシアでは宮廷クーデターが起き、新王は東ローマと講和した。

ヘラクレイオスはペルシアから持ってきた白い象を先頭に、盛大な凱旋行進を行った。人生最良の日であった。しかしペルシアと東ローマの死力を尽き果てた戦いの最中に、アラビアに革命が起きつつあったことは、多分アッラーしかわからなかっただろう。

下はホスロー2世を屈服させるヘラクレイオス1世

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。