事の発端はほんと些細なことなのだ。東ローマでは古代ローマ帝国の伝統に従って戦車競走が行われていた。そこは当時でも皇帝のパフォーマンスの場であり、民衆の政治への参加の場であった。しかし観戦者はパンクな格好をして、喧嘩も茶飯事だったというから、現代のサッカーと変わらない。
そしてユスティニアヌスの居る前で起こった乱闘騒ぎが死者を出すまでになった。いわゆる「パンとサーカス」の政治が好きではなかった皇帝は責任者の処罰を要請。しかしここで、皇帝の税金や堅苦しい政治に反対している民衆が暴動を起こし、財務長官を罷免しても収まらなかった。
この暴動の背後には元老院と、帝位を狙うヒュパティウスが居り、ヒュパティウスはこの機を狙って登場して群衆は「皇帝」と歓呼した。ユスティニアヌスは帝都脱出を決意した。そのときである。皇后テオドラが一喝した。「逃げちゃダメよ。命をかけるのよ!昔っから帝衣は最高の死に装束って言ってるじゃない」。
ユスティニアヌスは腹を括った。将軍を戦車場に突入させ、ヒュパティウスはもちろん、逆らう市民も撫で切りにし、3万人が殺害されたという。532年、この「ニカの乱」で「パンとサーカス」のローマの大衆民主主義は最終的に葬られ、皇帝の専制政治が行われることになったのである。
下は皇帝を一喝するテオドラ
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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