ユスティニアヌス大帝3-アヤソフィアの目的

もちろんユスティニアヌスも強圧はダメだということもわかった。皇帝は新たなものを代わりにする。「パン」は公共事業、「サーカス」は華麗なるミサ。つまり現在までこの都市の象徴となるアヤ・ソフィア大聖堂の建造である。この建設は532年から537年まで5年11カ月を要した。

そしていよいよ西方攻略に移る。533年キリスト教に寛容な王が倒されると、艦隊を率いて北アフリカのヴァンダル王国へ侵攻した。12月にはカルタゴを奪回し、北アフリカ沿岸を、ジブラルタルの対岸であるセウタまで回復。翌年にはアフリカを属州に復活させた。

そして535年、イタリアを治めていた東ゴート王国の内紛に乗じ、まずシチリア島を占領、536年12月にはローマを奪回した。しかし540年には、西方攻略の隙にペルシアが東ローマ内に侵攻を開始し、ユスティニアヌスは軍を返さざるを得なくなった。

東ローマが軍をひくと、イタリアはまたたく間に東ゴートが奪回。545年にペルシアとの和平が結ばれると、35000の兵で再びイタリアに進攻。552年、軍は東ゴートの首都ラヴェンナを陥落させ、その年東ゴートを滅亡させた。ユスティニアヌスのローマ再興の夢は実現したが、東ゴートの追討は560年までかかり、長期にわたる戦争は、民を疲弊させた。

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。