クローヴィスとクロティルダ3-女傑で聖女

511年、クローヴィス王が崩御し、サンドニ大聖堂に葬られた。フランス王はまさしくクローヴィスに倣い、ランスで戴冠し、サンドニに葬られることで伝統を保つことになる。王が開いたメロヴィング朝は、息子達に分割され、この王朝は分裂と統合を繰り返すことになる。

王妃クロティルダは、パリに教会をつくり、貧者救済を行い、王の死後は修道院に隠棲した。しかし523年、息子達を焚きつけ、自分を幽閉したブングルト王国と戦わせ、後に聖人となるジギスムント王を殺害した。彼女も列聖されるが、聖人といえどどうも身内のことになると我に勝てないようだ。

彼女はまた、息子の1人が死んだとき、残りの息子から「遺児はどうるすよ?」と相談され「領土がないのなら修道院に入れるより殺したほうがいい」と答えたとされる。最期まで女傑であったようだ。実際迫害聖女からジャンヌ・ダルクまで、聖女達はやわな女ではやってられない。

そういうことでメロヴィング朝では王の権力は小さく、各地の領主の力が大きかった。古代から中世への移行である。そしてキリスト教に頼る王は権威化し、鎌倉幕府のように実権は領主層をまとめた宮宰が握ることになった。このような分権の中で、力を拡大するのがキリスト教であるがこれは後で述べる。一方南では、東ローマ帝国が再興しつつあった、そしてここにも女傑が居る。

下はアミアンの聖クロティルダ教会の聖クロティルダの戴冠

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。