トゥールに行ったときに、王妃クロティルダはもちろん教会に行っただろう。当時の司教ぺルぺトゥスは大歓迎しただろう。西ゴート王国はアリウス派で、ガリア教会としては好ましくなかった。司教は彼女を通じて、クローヴィス王に近づいただろう。
王妃は王妃で「あなたの崇めている神は、ただの木や紙や金属の像でしかありません。崇めるべき唯一の神は天地を創造された主です」と堂々とタンカを切ったと伝えられている。しかし司教は実利的メリットからも王を説得しただろう。対西ゴート作戦で、ローマ人たちが味方になると。
実際、フランク族といっても、氏族連合体で、イマイチ統一感に乏しい。クローヴィスはその実利もあって、496年ランス大司教によって正統派キリスト教に改宗し、498年ランスで戴冠式を行った。フランス王家の伝統はここで作られたのだ。このローマ人との同盟によって507年、西ゴート王アラリック2世を打ち破り、首都トゥールーズを占領、ガリア覇権を確立した。
508年、この改宗のおかげで、クローヴィスは東ローマ帝国より、執政官の称号を受けた。そしてフランク王の守護のもとで、トゥールの聖マルティヌス崇敬はガリア一帯に広がり、現在でもフランスで3600の教会を数える勢力となった。またこの改宗によって、ローマ人とフランク族との結婚が可能となり混血して、フランス人ができた、とされている。
下はクローヴィスの洗礼
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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