アウグスティヌスと母モニカ9-母天に召す

387年、アウグスティヌスは長年に渡る思想的遍歴を終え、洗礼志願者となった。修辞学の講師の職も辞して、静養・黙想しながら3編の論文を書いた。そしてその年の復活祭で息子と共にアンブロシウス司教によって洗礼を受けた。33歳、ようやく念願の叶った母モニカの喜びはひとしおだった。

その頃のローマは、ガリア一帯を支配していた簒奪帝マクシムスに対し、東帝テオドシウスが宣戦を布告していた。アウグスティヌスは母、息子と共に、故郷のアフリカに帰ろうと船を探したが港は封鎖されていた。母モニカは56歳、彼女は言いたかったろう「主よ、今こそお言葉通り、このしもべを安らかに去らせて下さいます」

港を眺めながら、母子はようやく思い出話に花を咲かせた。母モニカは少女時代の一時期、「私はワインの酒飲みになっちゃったのよ」とも話したようだ。そして二人は祈り、ワインではなく天上的な美しき世界に恍惚となった。最後に母は、「故郷でなく、ここに葬っておくれ、どこにいようとも主に祈るときに私を思いだしてくれればそれでいいんだよ」と満足気に言った。

病んで9日目、母モニカは帰天した。アウグスティヌスの息子は泣きだした。集まってきた信者達が詩篇を歌いだし、母の身体は葬られた。アウグスティヌスは一人になると、悲しみが押し寄せてきた。「あまつみ空をしろしめす神よ」アンブロシウスの作った聖歌を歌うと、涙が止まらなくなり、彼は思いのたけなきじゃくった。

下はこれも有名なアリ・シェフェール作「アウグスティヌスと母モニカ」

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。