西ゴート王国ができると、西ローマはイタリアと北アフリカ西半分だけになった。ローマ帝国が拡大するにつれ、異民族が入ってきたわけだが、その上にローマ人が立つという構造が無理となっていたわけだ。現在のアメリカも移民がのしあがってくると、白人達が移民排斥を強めているがいつまでもつやら。
しかしアフリカでも反ローマの勢いは増していた。ドナトゥス派は、反ローマの下層民と一緒になり、教会を襲撃し、社会不安を巻き起こしていた。アウグスティヌスは、論争による解決を主張して、あちこちに手紙を書いていたが、社会問題化していた。ついに彼も政治を入れて決着することにした。
411年、カルタゴで第15回教会会議が開催された。この会議では正統派286年、ドナトゥス派279名が参加、うち6人ずつが討論し合い、アウグスティヌスもその一人だった。迫害時代に棄教させられた者が戻ろうとしていたが、ドナトゥス派は「一度棄教し、罪を犯した者はキリスト者ではない」の一点張り。
アウグスティヌスは、人間は教会に居ても罪の誘惑に晒されていて、悔い改めは教会の中でこそ必要だ、と説いた。結局議長であった皇帝代行のマルケルリウスは、ドナトゥス派を異端と宣告し、禁止され、その後ドナトゥス派は急速に衰えていった。
下は映画「アウグスティヌス」よりドナティウス派との論戦
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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