アウグスティヌスと母モニカ8-栄達か人道か

アウグスティヌスは迷っていた。しかし今の生活が捨てられようか?皇帝に詩を捧げるまでに出世した自分。念願の良家との縁談の話が持ち上がった。しかしまあ彼は誘惑に弱く、またまたエロい女に溺れてしまった。「ああダメなオレ、なぜ悪のほうに誘惑されるのか」アウグスティヌス30歳、彼は悪と対決しようとした。

マニ教は善悪二元論である。アウグスティヌスはその考えを捨てた、真理は一つのはずだ。そこで新プラトン主義の本に向かった。これはかなり聖書と同じことが書いてある。そして悪とは「善なる神に自ら背いて落ちて行く状態」と理解するのである。これが彼の哲学の根本となった。しかしそう理解したからといって自分が変わるわけでもなかった。

386年の夏、アウグスティヌスは、学者として人格者として名高いキリスト教徒、シンプリキアヌスを訪ね、教えを受けた。次にアフリカ出身のキリスト教徒、ポンティキアヌスが訪ねてきて、アウグスティヌスの机に聖書があるのを見て、欲望と戦って乗り越えたアントニウスの話をした。知人2人もアントニウスの生き方を見てキリスト教徒になったという。

アウグスティヌスの心の葛藤は頂点に達した。彼は今度こそ引き延ばさず、自分を直視してみようと思った。すると欲望まみれの自分が見えた。その欲望は、アントニウスを誘惑した悪魔のように「私を捨てないで」と言っていた。何もかもわからなくなったアウグスティヌスに、隣から子供の声で「取って読め、取って読め」という声が聞こえてきた。すぐ聖書を開くとそこには、欲望を捨て、キリストを着て、日の光の中を歩こうではないか、と書かれていた(ロマ書13・13)。

下は有名なフラ・アンジェリコ作「聖アウグスティヌスの回心」

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。