アウグスティヌスと母モニカ7-皇帝と乞食

皇帝を説得できるアンブロシウス司教の雄弁術を盗んでやろうと、説教をききにいったアウグスティヌスだったが、まるで期待はずれ。司教の説教はまるでパフォーマンスなし。それよりも、聖書はそのままでなく、比喩として受け止めるべき、という考えに刮目した気がした。

アンブロシウス司教は異教出身だったが、貧しい者に食べ物を与え、始終聖書を研究していた。アウグスティヌスは、キリスト教を誤解していたと感じ、司教に話しかけようとしたが、その熱心に祈る姿に、何となく気恥しくなり、そのまま帰ってしまった。

アウグスティヌスは揺れていた。一方で立身出世の欲望があり、彼女とも別れて、有力者との結婚を期待していた。その一方でキリスト教と真理にも惹かれていたのである。そんな375年の晩秋、西帝の就任10周年式典に詩を捧げるという栄誉に恵まれた。その日成功するか失敗するか、胸はドキドキの彼はふと乞食を見た。

その乞食は、人に恵んでもらったわずかな金で酒を買って幸福に浸って歌っていた。自分は出世もし、今栄誉をつかもうとこんなに必死なのに、乞食は実に幸せそうだ。いったいどちらが幸せといえるのだろうか?我々もそう思った瞬間はないだろうか?

下は微笑みの画家と呼ばれるフランス・ハルス作「乞食楽師」。ちなみに大阪のあいりん地区を診断している医師からも似たような感想をきいたことがある

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。