アウグスティヌスと母モニカ6-キリスト教徒皇帝

東帝テオドシウスは、大病を患ったとき、正統派テサロニケ司教アコリウスから洗礼を受け、379年正当派キリスト教徒となった。彼は軍人らしく一途で東方を正統派で固め、380年に3人の皇帝連名で、三位一体の正統派を守るべし、という「テサロニケ勅令」を出した。

そして381年、第一回コンスタンティノープル公会議を開催し、正統派を再確認。「ミラノ・コンスタンティノープル信条」という今日まで続く、正統派キリスト教の宣言文を採択した。テオドシウスは、ローマ等の神々に犠牲を捧げることを禁止し、キリスト教以外を迫害し始めた。

384年、アウグスティヌスをミラノに推薦したローマ市長シンマクスが、元老院前の勝利のニケの女神像を再建するよう要請したが、これを阻んだのは何とミラノで歓迎したアンブロシウスであった。

さらにアンブロシウスは、西帝ヴァレンティアヌス2世がアリウス派にミラノの教会を1つ譲るよう要求し、武力で威嚇したとき、教会に閉じ込められてもひるまず撤回させた。この事件には母モニカも参加し、閉じ込められた教会から聞こえて来る聖歌に皆感動したという。アウグスティヌスは、高名な彼の説教を聞きに行こうと思ったが、どちらかというとその雄弁術を学ぶためだった。

下は第1回コンスタンティノープル公会議

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。