ナポレオンはまたしても勝利を得た。この頃が帝国の絶頂期といわれるが、決して万全なものではない。ローマ教皇を幽閉したことで、復活していたフランスカトリックは、反皇帝となった。警察長官フーシェも外務大臣タレーランも結構教会に近い。この二人はナポレオンの独裁に反感を持ちつつあった。
そしてタレーランは、子供の生まれぬジョセフィーヌと離婚して、ハプスブルクとの結婚を提案した。実はフーシェは、ロマノフ家との結婚を画策していたのである。しかしロシアはもう反ナポレオンになっており、タレーランとメッテルニヒ連合が勝ち、ナポレオンはオーストリア皇女マリー・ルイーズと再婚した。
名門家と結婚したことで、保守層は一応満足したが、革命の理想とはどんどんかけ離れていく。しかしウィーンにはこの頃からフランス主導で影響が大きくなり、言葉やモードなどでもさらに洗練化され、独特な文化ができてくる。そしてフランス文化がイタリア文化にとって代わるのもこの頃からだろう。
そして11年3月20日、待望の息子が誕生、生後3か月でローマ王とした。ローマ王は神聖ローマ帝国で皇帝の継承位のことである。神聖ローマ皇帝カール5世がなしえなかった欧州統一は、フランス皇帝によって成し遂げられた。カール5世は対オスマンとキリスト教一致の統一だった。今回は何のためなのか?
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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