1809年4月9日、オーストリアは、イギリスと同盟を結んで資金援助を受けてバイエルンに侵攻した。ナポレオンは、即座に対応したが、実は主力はスペインに釘付けだった。しかしエックミュールの戦いに勝利して、ウィーン再入城を果たした。だがすでに王族は退避済、急所を一撃するナポレオン戦法対策も進んでいた。
墺軍は、ドナウ対岸に集結し、橋をすべて破壊した。仏軍は中州のロバウ島に渡り、そこから渡河しようとした。墺軍は、5月21日に渡河を開始したが、待ち構えた墺軍と激しい戦闘。翌日ナポレオンは全軍撤退を命じ、アルペン・エスリングの戦いに敗北、そしてランヌ元帥が死亡した。ナポレオンを敗北させたカール大公はオイゲン公以来の英雄と称えられた。
その後川を挟んで膠着状態となったが、ナポレオンには各地から援軍が到着し、18万の大軍となった。仏軍の集結したロバウ島は工場と化して、木を切って橋を作った。しかしこれは囮で、ナポレオンは正面突破と見せかけて、東側に迂回路をつくって、暴風雨の夜にあえて渡河作戦を遂行した。
墺軍は4万人の死傷者を出して敗北したが、仏軍も3万2千人に達した。オーストリアはシューンブルンの和約で領土割譲と莫大な賠償金を課せられた。ナポレオンの勝利に見えるが、その間にポルトガルやオランダに英軍が上陸し、広がりすぎたナポレオン帝国は、混乱していくこととなる。
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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