ナポレオン36-ナポレオンとゲーテ

1808年10月2日、ナポレオンとゲーテは、エアフルト会議で会った。ナポレオンは、大陸封鎖を確認するために、ヨーロッパ中の皇帝や王を集めたのだ。ゲーテは、ワイマール公カール・アウグストの名代としてである。公国は、プロイセンと合したが、プロイセン崩壊の後、仏軍がなだれ込んで略奪された。

そのときは公が逃亡し、公妃がナポレオンの相手をして、多額の賠償金をかけられて、なんとか取り潰されず、ライン同盟へ入れられた。ゲーテの家にもフランス兵が侵入たり、彼はその始末に忙殺された。そしてナポレオンは、会議の名簿にゲーテの名を見つけ、「ここに人有り」と言って会談が実現した。

実はナポレオンは、「若きヴェルテルの悩み」を7回も読んだというファンだった。2人は国家を離れて話をして、後日ゲーテは、ナポレオンは「大した男だった。いつも開悟し、いつも明晰で、決断力があった」と述懐する。ゲーテはナショナリストではなく、コスモポリタンである。

しかし現実のゲーテは、嵐の中を小公国の中で右往左往していた。この年にファウスト第一部が発表されたが、グレートヒェンの悲劇を中心とした個人的体験である。第二部では国家や世界、歴史が物語の中に入ることになり、この間の体験が反映されることになる。

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。