ナポレオンはイタリアに対してもやらかしてしまう。ローマ教皇ピウス7世が、大陸封鎖令を拒否したのである。ナポレオンは全くわからない、新教のイギリスは敵だろう、とローマに手紙を送る。世俗不介入の教皇は、ナポリ王国への帝国軍の教皇領通過は承認したが、ナポレオンの道具にはならなかった。
ブルボン家のナポリ王国は、今度こそナポレオンのものとなり、兄ジョセフが国王となった。そして1809年2月2日、帝国軍がローマに侵攻し、帝国領を宣言した。教皇は、ナポレオンを破門した。7月5日、帝国将軍が教皇の寝所に押し入り、破門を解くよう脅迫した。しかし教皇は静かに「できない」と言った。
それを知ったナポレオンは「ヤツは危険な狂人だ」と言い、教皇をサヴォーナに幽閉した。その後、ナポレオンの任命した司教を叙階するよう命令したが、教皇は拒否する。ナポレオンは、自分の力に屈しない者を初めて見たのである。「剣を取る者は皆剣によって滅ぶ」(マタイ福音書)
ナポレオンがフランスを統一できたのは、力だけでなくカトリックと和解して復活させたからだった。彼は宗教は支配の方便と考えていたが、地方の民衆はそうは考えない。オーストリア、スペイン皆カトリックが行き届いている。ナポレオンが破門されたことは、反抗の大義を与えることとなったのだ。
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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