1807年11月、ナポレオンは、スペインの仏軍通過の許可を得て、ポルトガルに侵攻してあっさりリスボンを占領した。ところが女王マリア1世、摂政ジョアン王子ら1万人は、すでに英海軍に乗ってブラジルに逃亡しており、抵抗を許すことになった。セント・ヘレナ島には「これが私を滅ぼした」と記念碑が立っている。
ナポレオンは、派兵を口実に、08年2月にパンプローナとバルセロナを占領。これを契機に、反ゴドイの民衆反乱が起こり、国王カルロス4世は退位、ゴドイは失脚し、新たに王子がフェルナンド7世として即位した。ナポレオンはそれにつけこみ、4月末にバイヨンヌに新旧王を呼びつけ、両者とも退位させた。
ナポレオンは、ナポリ王となっていた兄ジョセフを呼んで、ホセ1世として即位した。フランス軍は、スペインに全面侵攻し、マドリードを占領した。王族もフランスに連行したが、泣いていたやがる王子達を見た市民の怒りが爆発した。5月2日、マドリード市民が暴動を起こし、それは全土に広がった。
この暴動を描いたのが有名なゴヤの「マドリード1808年5月3日」である。虐殺絵画はこれまでもあるが、目の前で起こった事件を迫真の芸術作品に仕上げた例はまず見当たらない。ゴヤはここで完全に近代絵画の扉を開けたのだ。ダヴィドの皇帝礼賛の絵と真逆である。そして6月にはポルトガルでも市民反乱が起こり、イギリスも支援する。
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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