ナポレオン30-カルーゼル凱旋門

実はナポレオンは危ないところだったのだ。すでにフランス国債は暴落しかかっていた。軍事大国フランスは、征服によって資金をまかない、広がる領土の維持にまた金がかかる。ナポレオンが理想としたローマ帝国のようになっていくのである。そしてローマにならい戦勝記念の凱旋門をつくろうとする。

さっそく命じたのは自らの宮殿チュイルリー宮前のカルーゼル広場に凱旋門をつくることである。しかし工事が進むのに、2年間足場に覆われたまま。皇帝が問いただすと、皇帝の像を待っているという。これはフランス軍の勝利であって必要ない、と皇帝は言った。ヴェネツィアから略奪した馬像を上に載せたのだが。

皇帝はそれで満足せず、エトワールの丘にもっと大きな記念碑を創ろうと思い立つ。最初はなぜか動物の象の巨像だったようだが、これは結局バスティーユの記念碑となった。そしてやはり大きな凱旋門を創ることにした。これが今の観光名所である。だが建設には30年かかることになった。

そして1806年、ライン同盟をつくったことで、プロイセンが中立を捨て、第4次対仏包囲網に加わった。ナポレオンは、またさらに大きな戦争に向かっていくことになる。その前にエトワール凱旋門の建設を命じた。彼のモチベーションをあげるために役立ったのだろう。

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。